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⇔ Diá ⇔

iPhone写真、アナログ写真、随想、詩作、 覚書き など。

2015 11月の展示を振り返って③ テーマ編

展覧会の忘備録。以下の続きです。

 
 
今度はテーマやタイトルについて。
自然を被写体にして作品を作っているが、細かなテーマを決めているわけではない。出会いが全てである。初めての展示である。初心として、作品作りの衝動と思いを素直に表すことにした。
展覧会タイトルは「Look at Me, I'm Here. ーアメリカの森の中で 」
以下は資料に書いたことの抜粋。
 
 
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Look at Me, I'm Here. ー アメリカの森の中で
 
「ねえ、ちょっと、わたし、ここよ」
森や野原や道の端の、無数の気配の中からなにかが呼びかけてくる。そこに佇み、輝いている
小さな芽、木、草、落ち葉や切り株たち。
まず挨拶を。そして、じっと見つめる。そよ風や虫の歩みに揺れ、雲の流れに輝いたり曇ったり、
ひとときも同じ表情を見せることはない。見つめても、見つめても、尽きず、飽き足らず、胸が高まる、それはあたかも恋慕のような気持ちである。息遣いを感じようと、いつしか息をころす。
そして別れの時はくる。 
 
(中略)
人ではなく、人の作ったものではなく、お日様と地球が作ったものとそれらの調和は、多くの人にとって、驚異、畏れ、憧れ、尊敬、親しみ、愛おしさの対象でありましょう。その中で、そこに佇み、口をきかぬ木々や草の姿に特に惹かれます。私にとっての写真作りは、彼らのポートレートを作ることです。
そして植物(紙)、動物(卵)、無機物(塩、銀)、太陽光、水から生まれるアルビューメンプリントを、地上の調和の小さな再現と感じます。時間の中で起こる自然変化を愛おしみたく、アーカイブ処理は最小限にとどめています。時が来れば作り替えを行います。
 
 
 
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自然を相手にすれば、私の一生どころか何度生まれても追いつけるものではない。何かを掘り下げていくのか、多様性を手探っていくのか、どこまで食い下がるのか、今はなんとも言い難い。夢中で捉えようとしているのは、ひとつひとつの存在の、その在り方である。秘め湛えたエネルギーに圧倒される。目に見えないそれは何なのか。美を感じるものだけではない。偶然を必然としてそこにある、その姿に心打たれる。そして、そのような存在たちによる偶然の造形的調和に心ときめく。私は彼らを環境から切り離すことはない。葉っぱ一枚動かさない。光は彼らの、そして環境の纏う透明な衣装である。遮ったり、当てたりすることはない。正直でありたい。上手くいったら御の字だ。
 
そして、アナログプロセスでなくてはならない。美質、手応えにおけるこの確信を弄っているうちに、脳と身体の関係が原因の一つと思うようになった。
「アナログ」の物質プロセスは身体と言える。檻のような重みと質感を伴う実体である。
対して、ブラックボックスの中を電気信号が走り回る脳は、デジタルと近いように思う。人の脳はデジタルやインターネットに親和性があると思う。
脳がデジタルを使うことから、何が生まれようぞ。身体を扱っている時に、心からの心地よさに満たされる。
 
「彼らのポートレートを作ること」などとは。撮られる側からすれば「大きなお世話」かも知れない。でも満更でもなさそう、と感じることもある。
だって、「見て見て」と誘っているのだから。
とにかく、やらせておくれ。
 
このアニミズム感満載のアイデアを芯にしつつうまくステートメントにまとめなくては。私はこの「ステートメント」が嫌いである、とつらぬけるだけの資金力がない。切り抜けるために、書く。作り、見てもらうこと、生活することが目的だ。なんとかしよう。