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⇔ Diá ⇔

iPhone写真、アナログ写真、随想、詩作、 覚書き など。

「気球」に思う

落ち着かない中ではあるが、自然消滅する前に一息に書いてしまう。

先に載せた「気球」は(恐らく)2008年に見た夢を記録してあったものだ。
この夢が異例なのは、時系列や場面変化には整合性があり、それぞれの登場人物の心情を内面から感じたことだ。あたかも物語のようで、見た後に自分でも戸惑った。
 
後半は早回しだが、夢も実際に早回しだった。7年間の無人島の生活は、いきなり背の伸びた弟の場面に変わっていた。
 
見た直後も記録した後も、ずっと18歳の姉が私であり、これは空を飛びたい、無人島で暮らしたい、という私の二つの願望を表した夢だと思っていた。ちなみに私には実際に1学年違いの弟がいるが、妹はいない。
今回様々な印象が変わったので記しておく。
 
冒険心が旺盛でアッケラカンとした姉は、恐らく私という人間のベースである。
 
しかし弟も、私である。これは今回初めて気がついた。
そうすると、妹も、たぶん私である。
 
整理すると、
姉が生来の私、弟が私の現実での振舞い、妹は恐らくだが、理想の私、である。
 
今回読み直してゾッとしたのは、砂袋が足りず、姉が弟と妹を重りがわりにロープで繋いだ場面だった。この残忍非道性はなんなのか。これがキッカケで考えてみようと思った。
私は弟を妬んでいるのだろうか。
それすら無くて、ただ合理性を追求しての行為としたら、尚更恐ろしい。
 
しかし気づいた。これは夢である。
夢の中の姉も、密かに夢と知っていて、夢だから、命や身体に危険が無い事まで、見透かしていたのかも知れない。
私には確かにそう言うところがある。他人の思考回路(順序や方向)に気付かず、「物事の順序」と言われるものや説明をすっ飛ばすこと(例えばこの夢では弟、妹や見ている私に対する「これは夢だから」というナレーション)、そのせいで大きな誤解を招くことを、身近な人から指摘されることは多い。逆にそのことを気にし過ぎて、取り越し苦労や余計なことをすることも多い。
 
弟が体験した一連の出来事ーーなんの気無しの行為、激しい後悔、星空の癒しは、思えば全てが生々しい。
野宿した時に味わった、星空に吸い込まれて時空感覚が無くなった不思議な感覚が、それを感じるに相応しい「夜空の遊泳」という場面に置き換わったものだという気がする。
一旦は悟りに近付いたかのようで、しかし現実生活に引き戻されると自分の過ちを意識する。
この不完全さ、中途半端さが生々しい。
 
妹は「良い子」である。あるいは「普通さ」「穏やかな幸せ」である。飛行機に発見されると、まず姉の気球のことを知らせようとするも、あっさりと腹をくくる。これ以上の役割を与えられていないのは、私にとって、自らの内にリアルに感じられる「良い子」がそれだけしかないということだろう。
彼女は、両親や近隣ともうまく軽やかに共存していけるに違いない。
また、父親が帰って来た弟に「楽しかったか」とだけ聞いたのは、恐らく親の理想化と美化であり、私が求める人間関係と人生の価値を端的に表したものだろう。
私は「お楽しみ」が好きだ。
昔同居していた友達に、「ピヨピヨには喜怒哀楽のうち、喜と楽しか感じられない」と言われていたが、これは分かる部分はある。
「楽しい」「喜ばせる」これらは日常やたらと活性度が高い私の興奮剤で、かなり下らないことでも勝手に活性化して一人で興奮しているが、一方で怒りや哀しみが活性化する条件は極めて限られている。とは言っても喜楽、怒哀、どちらも私の内面の出来事で、外見では平静を保っている(7/14追記:保ってない可能性が大きい)。
ただ、後者は触れると爆発物なみの活性が起こるので、注意が必要ではある。
 
で、自分はどうしたいか。
開き直り、悪びれず、縮こまっている身体を解放していきたい、というのが今の思いだ。
やや中途半端だがスピード優先でここまでとする。