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iPhone写真、アナログ写真、随想、詩作、 覚書き など。

01 17 2017 バロックな吉田宗箇の庭との遭遇(旧徳島城表御殿 千秋閣)

旅先

今まで城や庭に興味を持ったことは無かった。

 

今回ひょんなことで人に誘われて徳島城跡の博物館に行き、何も期待せずに庭に出て石組みの醸す異様な雰囲気に虚を突かれた。

作庭のことは何も知らないし石組みの意味も分からないが、それはひたすら動的でバロックであった。

 

庭は枯山水庭園と池泉回遊式庭園の二つからなる。

私が揺れたのは池泉回遊式の方だ。

この庭園は動線の制約なく自由に石の上を歩き回れる。大小凸凹の石の道を辿るのはちょっとしたアスレチックのようで、一つ一つの石を踏む度に足元を眺めて対岸を眺め遣るのだが、いつどこを見ても群石が騒(ぞめ)いており、視線の落ち着く先がなく、一時も心平らかにならない。よくもまあこれだけアクの強い石を集めてきたものだ。騒(ぞめ)きと不安定の畳み掛けによる豪快な均衡。作者の精神に並ならぬ剛毅さを感じる。

 

人と一緒だったので去り際に振り返って一枚だけ写真を撮った。今度はこの庭だけをじっくり歩きに来よう。

f:id:pyopyopyon:20170205113654j:image

 

後に調べると、作庭は、安土桃山〜江戸初期を生きた吉田宗箇なる人物によるものだった(1563〜1650)。

いくつかのサイトで吉田宗箇の略歴を見ると勇敢な武人で茶道と作庭を嗜み、そして生涯を俯瞰するとどうも人柄としては哲人風なところがあったようである。関ヶ原の合戦で西軍についたために領土を失って剃髪したが、阿波国藩主に客将として呼ばれてこの庭を作った。

その後和歌山広島等の由縁ある土地でいくつかの庭を作っている。現存するそれらのうちで、旧徳島城のこの庭が一番きれいに原型を留めているということだった。

 

剛毅でバロックな作風は安土桃山という時代精神なのか、吉田宗箇の個性なのか。なんせ今まで全く関心が無かったので分からない。以下は吉田宗箇の庭。機会あれば訪れたいのでメモ。

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和歌山城、西の丸庭園 

wakayamajo.jp

 

粉河寺(こかわでら)、前庭

www.kokawadera.org

 

名古屋城、 二の丸庭園の北庭と南庭

二之丸エリア:名古屋城公式ウェブサイト

遺構と絵図から1973年に作庭当初の姿に復元されたとのこと。(作庭者は徳川義直とされるが直接関わったのは吉田宗箇とのこと)

 

広島市の浅野家別邸縮景園は、後の藩主(7代目)が1783年に京都の庭師、清水七郎衛門を呼んで大改修させたために、吉田宗箇の面影はほとんど残っていないらしい。

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その翌日、午後の便で東京に戻った。

昼食に馴染みの店を訪ねて主人と話をしていると、そこに居合わせた建築家に、徳島の旧国分寺に行くことを勧められた。

あとで調べると、やはり安土桃山時代のもので、日本国内の庭の中ではとんでもなく異形で有名な庭らしい。

次回必ず行ってみよう。

第15番札所  阿波國分寺

四国八十八ヶ所霊場公式ホームページ:第15番札所 薬王山 金色院 國分寺

 

 

そんなこんなで、まったく予期せずに石組みに興味を持ったが、各時代の名庭の写真を見ていても単に日本庭園を巡ってみたいとはならない。

まずは、バロックだ。