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iPhone写真、アナログ写真、随想、詩作、 覚書き など。

ソロー展を観に行って徒然に。

 

森歩き、足跡読みの達人ソロー(ヘンリー デイヴィッド ソロー)。

例えばこんなことを言っている。

As a single footstep will not make a path on the earth, so a single thought will not make a pathway in the mind. To make a deep physical path, we walk again and again. To make a deep mental path, we must think over and over the kind of thought we wish to dominate our lives.

-- Henry David Thoreau

 

そうだにぃ(笠智衆ふうに。深い意味はない)
逆に言えば繰り返し考え続けることがらに人生は支配される、とも言える。

ソローさんはそれを十分に分かっていたのだと思う。

 

ソローは19世紀半ばのマサチューセッツ州コンコードに生きた人である。定職につかずに執筆を中心とした多彩な活動を行なったので、誰しも彼の呼称に苦労する。

私は彼の書いたものに強く惹かれる。一つには彼が自分の肉体を使って学ぶことを主旨とする実践の人だからだと思う。彼の目は極めて正確に物事を捉え、言葉には全く浮つきがない。

「率直」で「まとも」過ぎる彼は、大多数の人にはかなりの「ひねくれ者」で「変人」と見えたことと思う。

いや、今もそうかも知れない。

 

今年は彼の生誕200周年にあたる。先週、コンコードミュージアムと、ニューヨークのモーガンライブラリーミュージアムが共同開催している展覧会「This Ever New Self: Thoreau and His Journal」を見に行った。

アイキャッチとなる展示品はソローが生涯使っていた机や唯2枚の彼の肖像写真だが、展覧会タイトルにあるように展示の主力となるのは彼のジャーナルだ。

ソローはハーバード大学の学生時代に14歳年上のエマソン(Ralph Waldo Emerson)と出会い、彼に強く勧められたことをきっかけに生涯ジャーナルを書き続けた。最初は講演や執筆材料としての覚書き程度に扱っていたらしく、ページが切り取られた一冊も展示してあった。森歩きの際には筆記具を携帯してメモを書き付けて、後からジャーナルに纏めていたということである。

当時のコンコード(すなわちニューイングランド)の知識層の中心人物であるエマソンは、若いソローの才能と人柄に惚れ込んで、自分が主催する超越主義サークルに引き込んだのだった。その後もエマソンは何かにつけてソローを助けた。ソローが小屋を建てて実験生活を行うために、自分がウォールデン池に所有する土地の一部を彼に提供したり、出版社に売り込んだり、さらには家庭教師や庭師の仕事を彼に依頼したりとすすんで何かと面倒をみていた。だがエマソンの家(注:エマソンは既婚者で奥さんも一緒)にソローを呼んで一緒に暮らした時期に互いの緊張が高まって、それまでの関係が崩れてしまった。

この展示を見てからエマソンにもっと興味を覚えるようになった。エマソン、暑苦しくて人間臭くて、いいヤツだったんだろうな。

 

展示はソローの人生の各アイデンティティー(「学生」「労働者」「町の住人」「物書き」「歩く人」「聞く人」など)という視点で捉えた彼の姿を、ジャーナルや書簡や著作草稿などから明らかにしていく構成だった。

展示物に、物質としてこの世にあった彼を感じながら、添えられた一つ一つの解説を読んでいく。

思いは重なって尽きない。乱暴この上ないことを承知で、会場の印象だけを述べる。

彼のアイデンティティーの数々は「ソロー」という土壌に生えた種類の違う植物であり、それらを育んだのは地下を流れる彼の思考だ。植物たちはもうとっくに土に還っているけれど、今も肉筆をたっぷりと含んだジャーナル  ーその地面ー  が存在する。そしていまだに彼の思考という水分をたっぷりと保持していて、開かれたページから展覧会場にそれを解き放っているようだ。そんな水蒸気があたかも会場空間にホログラムを作っているかのように、そこに「3Dソロー」を強く感じた。

言うなれば、物の怪のように「うようよ」と動き回る、動的で、不明瞭で、精妙で、一つなのか複数なのかも分からない実体が、いっときも動きを止めずに場に広がっている、こんな感じなのである。(余計に分かりづらくて申し訳ない。)

そして、これが私が思っているところの「人間」というものなんじゃないか、と思うのである。

そうしてそのホログラム、「うようよ」の中に感じられたものは、世界に向かっていっぱいに見開かれた目と好奇心、そして本質を求めて突き動かされるように歩いてゆく一人の人間の孤独と深い喜びなのだ。

展示によって、今までぼんやりとしか認識していなかったソローの才能とエネルギーを見ることができて圧倒された。

ところが、当時は著作もウォールデン以外はそんなに顕著には売れず、ソローは生活と研究のために一年のいくらかの時期に様々な突発的な仕事で収入を得ており、傍目には今で言えばフリーター、だったんだろうな。

 

 

 

展示を見てからぼーっとしていて、色々なことが手につかないので何か書きたかったが、ぼーっとしたことを書いてしまった。

 

 この数年、文章を書く根気がない。

日頃ほぼ映像でものを考える。それは複層で、立体で、時間の前後もない。ある瞬間ごとに違う何かと結びつき、前後左右が入れ替わる。

それを言葉にするために無理に切り出して順番を作る。その作業がこの数年、とっても億劫で下手になっていて、消耗するのである。

 

最後に、展示品のいくつか。

 

 ・ハーバード大学時代のジャーナル。

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綺麗な筆跡に驚いたので撮影。

 

 

 ・アメリカ先住民研究の覚書きページ

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↓解説。

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・「ウォールデン」のReading章の草稿。

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羽根ペンで書いて鉛筆で校正。

↓解説。

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・植物標本

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Wild Lupine

 

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Canada Lily

1000種類近くの植物を主にコンコードエリアで独学により採取、分類した。

 

↓解説。

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おまけ:なにやら可愛い、ジョンケージの楽譜。

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日本の詩(連歌=タイトルもRenga)の形式を活用して小澤征爾ボストン交響楽団のために作った。イラストはソローのジャーナルに描かれていたもの。

↓詳しい解説

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