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6. 28. 2017. A saunterer


A Saunterer

 

 

はてなでは動画がアップできないらしいので、一旦ユーチューブに載せてリンクを挿入して見た。

 

 

湖の浅瀬の中を

鹿がゆっくりと逍遥していた。

 

鹿を見ることは多いが、その度にこの生き物の美しさに激しく動揺する。

 

忘れられないビジョンがある。

やや日の傾いた遅い午後、深い草叢を分けるように作られたトレイルを歩いていた時のことだ。

 

草の向こうで、ガサリと大きなものが動く音。

鳥ではない。

思い切って踏み入ると、そこからほんの2メートルほどの位置に、眩いばかりに輝く一匹の鹿が立っていた。

 

はっと顔を上げてこちらを見たまま、固まって動かない。

成体というにはやや小さくて、なにやらあどけない。

まだ白い斑点を薄っすらと残した若い鹿だ。

 

大きな耳、張り詰めた空気。

すっきりとしなやかに伸びた身体が陽を受けて、あたかも自ら発光するかのように黄金色に輝き、短い毛先で縁取られたその輪郭は明るい白色に輝いている。

 

なんという神々しさか。

しばらく息が詰まった。

憚りながら、ゆっくりと少しづつ息を吐く。

互いにまんじりとも動かずに見詰め合ったまま、どのくらいの時間が経ったか分からない。

 

我に戻って、そっと後ずさった。

鹿もまた、中断した食事を再開した。

邪魔してごめん。君は1匹の鹿だった。

 

鹿は森の神である。間違いない。

きっとこんな場面が幾度も古代人の心を打ったのだろう、と思いながら

今も鹿を見ると、この時のことを思い出す。

 

数年前の秋、用事があってバーモントのとある大学構内の一軒家に宿泊したことがあった。

大学と言っても自然公園の中に建物が点在しているかのような場所である。夜半に真っ暗な構内を一人で歩いていて、鹿の集団に遭遇した時はたいへん怖かった。

草を踏み分ける無数の音が近付いてくる。

その存在だけを感じれば、大きな、野生の生き物である。

角で突かれるのと蹴り飛ばされるのとどちらが痛いだろうか、と接触も覚悟したが、何事もなく行き違えることができた時には心から安堵した。

 

 

さて、上記ビデオを撮った後に、同じ場所でピン太郎を構えた。

鹿は入っていないが、良い感じに仕上がりそうである。