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9. 17 - 21. 2017. 徳島:( いにしえの紙・忌部覚書など)

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残りの日本滞在記録をざっと。

越前から戻った翌日、最終便で羽田から徳島に発った。

その翌日は台風で全便欠航だった。

 

朝、起きるとまだ風雨はない。

日曜朝市に行ってみると、ちょうど風が強まってきて出店者達が店仕舞いをしているところだった。

 そして夕方には暴風雨となった。

ホテルから出られないので階下のレストランで食事。冒頭の写真は、その窓から徳島駅バスターミナルを見たところ。さすがに人がいない。

 

その翌日、県南の日和佐に知人を訪ねる筈だった。

連絡してみると被害が大きくなりそうで、もともと少ない汽車のダイヤもさらに乱れそう、とのことで、見合わせることに。

 

しかし一夜明けると台風一過の秋晴れだった。

気分を変えて 山川町にある和紙工場&紙漉き場&ショップに連絡してみると、ちょうど午後お時間があるという。今回で訪ねるのは3回目である。

汽車に揺られて1時間。そこから歩いて20分。

 

 

頂いた紙の使い勝手、写真の技法のことなど、話は尽きない。

ちなみに私は越前と徳島の雁皮紙を使うがそれぞれに特色があり、作品により使い分けている。

 

ついでに「苦参紙(くじんし)」のことを聞いてみると、やはりよくご存知だった。

苦参紙の原料となったのは「くらら」という植物の靭皮部分。この草は毒を持ち、根は健胃剤、駆虫剤に用いられ、これが「苦参」と呼ばれていた。虫が喰わないので重宝されたが、処理が困難であるために漉かれなくなった。国学者の「小杉 榲邨」によると江戸中期まで徳島で漉かれていたという。

 

そして「センブリ紙」の話をしてくれた。

これは楮の繊維をセンブリの抽出液に浸したもので、腹痛の際にはこれを湯に浸し、センブリ成分を溶け出させた湯を飲んだということだ。なんという知恵。これも徳島特有の紙のようである。

 

あっという間に帰る時間となった。

今度いつ帰るかを聞かれ、阿呆な私は「来年5月、紙の神様を祀る(越前)岡本神社の1300年祭に行くことができれば・・・」と言い、「あなた本当に徳島の人?」と呆れられた。


日本の神様はローカルなので、思えば岡本神社の「紙の女神」は越前の神様で、徳島にも紙の神様はいたのである。

それを祀るのは「忌部神社」である。漠然と知ってはいたが実のところ良くは知らない。

 

夜は敬愛する知人二人と会う。一人はお寺の住職だが、文化人類学者でもある。

忌部神社のことを聞いてみると、忌部氏は古代に中臣氏と並び、祭祀を司った集団だった。

祭祀に必要な用具を作る品部(ともべ:朝廷に属す職業集団)のうちの一つが阿波忌部で、木綿(ゆう)や麻布を納めたとのこと。その地は麻植という地名として今も残っている。

 

またトンチンカンなことにならないよう、徳島の「紙の神」についての覚書として、以下、wikiの抜粋をまとめる(下線は私が引いた。)

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*『日本書紀』では天の岩戸の一書に「粟の国の忌部の遠祖天日鷲命の作る木綿(ユフ)を用い」とある。

*『古語拾遺』によると、天照大神が天岩戸に隠れた際に、穀(カジノキ:楮の一種)・木綿などを植えて白和幣(にきて)を作ったとされる。そのため、天日鷲神は「麻植(おえ)の神」とも呼ばれ、紡績業・製紙業の神となる。

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*粟(あわ)の国は阿波の国のこと。

*木綿(ユフ)は楮の繊維で織った古代布で(もめん)ではない。

 

前記事でも書いたが、紡績と紙漉きが類縁と気付いた後だったので「紡績業・製紙業の神」と一括りなのは得心がいく。

でもなんだか話が分かりにくい。

私は、耕作に適さない古代の越前の人々に紙漉きを教えたという、岡本神社の女神の素朴な伝説が好きだなぁ、と思うのだった。

 

流すと言いながら長くなった。

そもそも自分がなんでこんなに神の話をしているのか分からない。

紙だからか。