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水切りが祖母に繋がり紙縒りを思い出す

 

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和紙は繊維を切断しないほうが水の中で解れにくい。

なので刃物は使わずに、定規を当て、紙を引っ張りながら裂いている。

 

それでも若干の毛羽立ちはあるが、裏打ち紙の周辺はもっともさもさにしたい、と手で千切った。今回の紙は余白をあまり取っておらず5mmほどの幅でそれをやろうとしたのだが、厚い雁皮紙は想像以上に粘っこく、参ってしまった。

改めてその強さを思い知った。

 

そのあとネットで「水切り」という方法を知った。

これはへらなどで溝を引き、水を含ませた筆でなぞって湿らせ、一呼吸おいて手で裂く、という方法である。 

水が染みていくのを見て、あ、これ、祖母が教えてくれたやり方だ、と吃驚した。

 

3つ4つの頃だったか。

祖母と折り紙をしている時に「紙を切る時は折り目を付けて、こうして水で濡らして引っ張ると切れるのよ」と「水切り」を見せてくれたのだが、私は水を含んだ紙の端がぶよっとするのが嫌で、「こうしても切れるよ」と、台に押し付けながら爪できつく折り目を付けて、それを裂いて見せたのだった。

その時に祖母がなんと言ったのか。ただニコニコと褒めてくれたのだと思う。

爪のほうがよっぽど簡単。どうしてわざわざ濡らすのかと気になりつつ、そのうち刃物を使うことに慣れてしまうと、そんな方法すらすっかり忘れてしまった。

 

水染みに沿って大地が裂けるかのようにじわじわ裂けていく紙片を見て、それを突然思い出したのだった。

幼い祖母は、きっと手漉きの千代紙や和紙で折り紙をしていたのだ。

そして暮らしの中で和紙が当たり前に使われていたのだろう。

「和紙の扱い」と大好きだった祖母が唐突に結びつき、瑞々しい嬉しさがこみ上げた。

 

 

雁皮紙の紙片を弄んでいると「紙縒り」を思い出した。これも祖母から教わったんだった。

強く縒って、紙縒りを幾本か作った。拙いが強い。力任せに何度か引っ張ったが、しなやかにいくらか伸びるだけでまた元に返る。

 

写真に写っている箱には少し短い紙片たちを仕舞った。