越前へ紙探し② 「最高の漉き手」との邂逅
↓この翌日。
朝7:40。紙問屋のYさんが迎えに来て下さり、オフィスに向かう。
昨日に続き、ここにも取材が入った。
100年以上前の大きな日本家屋で、オフィスと呼ぶには違和感がある。通された座敷からは日本庭園が見渡せ、壁には大きな木彫りの天狗のお面が掛けられていた。
ディレクターBさんもたくさんの質問を投げかけてくれ、紙問屋Yさんと話しているのかBさんに話しているのか、自分も途中でよく分からなくなった。(追記:それだけ熱心に関わってくれたのは後で思うと本当に有難いことであった。)
Yさんからは有意義な情報と提案を頂いた。ディレクターBさんが和紙産業を纏めるHさんにその場で電話。午前中ならいるとのことで、Bさんに連れられHさんのオフィスへ向かった。
聞かれてアルビュメンの技法のことを話すと、
「卵?まさに鳥の子ですね!」と。
何のことかと言うと、
平安時代、雁皮紙は色が鳥の卵に似ていることから鳥の子紙と呼ばれていたそうで、越前では今もそう呼ばれている。(「雁皮」と話した箇所が全て、テレビ字幕で「ガンピ(鳥の子紙)」にされていた。)
紙問屋Yさんからも、昨日会った柳瀬さんからも聞いていたが、
来年「越前鳥の子紙」が国の重要文化財に指定されることが決まっていて、また2年前には雁皮紙の手漉き技術の向上と継続のために「越前生漉き鳥の子紙保存会」発足し、地元は大いに盛り上がっている最中とのこと。
そこから話が進み、なにやら面白い展開になりそうな雰囲気でもって面会は終わった。
まだ先のことで確定したわけではないので、順調に進むことを願う。
午後からはディレクターBさんの段取りで、私が使っていた雁皮紙を漉いていた女性と会うことになっていた。
その雁皮紙↓
その前に、教えてもらった店で手早く昼食を済ませる。
お昼の定食がとても美味しかった。
これに美味しいコーヒーが付く。850円。
今暮らす地からは冗談のような値段で申し訳ない気持ちになる。
紙の漉き手、村田さんとお会いする。
村田さんは、越前で「鳥の子紙の現在の最高の漉き手」であり、
前述の「越前生漉き鳥の子紙保存会」の師範でもあった。同会が目標にしているのは彼女の技術なのである。
村田さんは昨年働いていた紙漉き場が自主閉鎖したあと様々な紙漉き場からのオファーを断り、この1年は人々に紙漉きの様子を見せる公共施設で紙を漉きながら、これからのことを考えていらっしゃる最中である。
自分の漉いた紙を使った作品を見られるのをとても楽しみにしてくれていたようで、じっくりと時間をかけてプリントを見てくださった。
「最近まで、自分の漉いた紙がアメリカに行っていたことも知らなかったし、こうして作品を見るのは初めて」と昨日お会いした漉き手と同じことを言う。
作品を持って来て本当に良かった。
伝統産業であるだけに、仕組みが固まっているのだろう。
使い手と作り手が直接に交流する仕組みがあれば。
しばらく村田さんの紙漉きの様子を見させて頂き、
挨拶もそこそこに慌ただしく紙の買い付けに行き、戻ってお礼を申し述べ、バス停でバスを待つ。
ちょうど行ったばかりで次のバスは1時間後。
街道だがほとんど車も通らず、目の前には緑の田んぼ。
傾いた日が山を照らし、風は涼しく稲穂が綺麗な音を立てる。
長閑なことよ。
バス停には雨よけ小屋とベンチがあったが、小屋の中にいると素通りされることがあるとのこと。
なんとなくバス停の横に突っ立っていたら、一台の車が目の前で止まった。村田さんだった。
お疲れの様子だったし送りを辞退したのだが、家でお子が待っているのにホテルまで送ってくれ、ホテルの駐車場で40分近く色んなことを話してくださった。
紙漉きの世界では若手で、さらに越前の技術の未来への継承の期待を一身に背負っており、その重みは計り知れない。
この日も、十分すぎるほどに濃密な一日で、疲れ切っているのに、寝付けない。
帰国してから、毎日3時間ほども寝ていないのに身体もよく動く。
全てに、感謝。